南美唄町は美唄中心部の南東に位置するかつての炭鉱街。三井美唄炭鉱は1918年に開かれ、北海道有数の炭鉱として発展したが、北海道内の大型炭鉱の中では比較的早期の1963年(昭和38年)に閉山した。閉山から約50年が経過した現在も南美唄地区には多くの関連施設が残り、当時の面影を今に伝えている。
三井美唄炭鉱の関連施設群は美自校バス「南美唄1丁目」停留所付近に集中しており、いずれの施設も外観のみ見学可能だ。以下の炭鉱関連施設群や街並みを訪れてみよう。 |
Minami Bibai Central Street
In front of Minami Bibai 1 Bus Stop |
炭鉱時代の面影が残る南美唄町中央通。現在も様々な業種の店が軒を連ねており、炭鉱の閉山から約50年が経過したとは思えないほどの商店街を形成している。 |
Former Mitsui Bibai Coal Mine near Central Street (1928 - 1963) |
1928年(昭和3年)に開業し、1963年(昭和38年)に閉山となった三井鉱山美唄鉱業所跡に建つ小さな記念碑。南美唄町中央通の旧三井美唄炭鉱厚生館近くに立つ。 |
Shrine of Former Mitsui Bibai Coal Mine
In front of Public Hall |
三井美唄炭鉱の祭神祠。旧三井美唄炭鉱厚生館の敷地内に建つ。南美唄最古の炭鉱である「宝田炭鉱」の碑が現存。 |
Residence of Former Mitsui Bibai Coal Mine |
三井美唄炭鉱の鉱員住宅群。1928年の三井美唄炭鉱の開業に合わせて建築された長屋の住宅群。建築年代によって様式は様々。最盛期には約2万人が居住し、1963年(昭和38年)の閉山後も住み続けている人が多いようだ。 |
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Former Mitsui Bibai Coal Mine Public Hall built in 1938 |
旧三井美唄炭鉱厚生館 (労働会館)。1938年(昭和13年)築。食堂部厚生会館として建てられ、後に労働組合の事務所として利用。慰霊碑も残る。現在は南美唄連合町内会集会所として活用されている。 |
Former Mitsui Bibai Cinema built in 1955 near public hall |
旧三井美唄互楽館。1955年(昭和30年)築。北海道の産炭地域で最大規模といわれた鉄筋コンクリートづくりの映画館。旧三井美唄炭鉱厚生館に隣接。 |
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