Shimizusawa Seiryocho since 1971
夕張市清水沢清陵町 |
北炭夕張新炭鉱の開発に伴って1971年(昭和46年)以降に発展した市街地。北炭は1975年(昭和50年)に夕張新炭鉱を開鉱したが、1981年のガス突出事故で多数の死傷者を出し、翌年に閉山となった。しかしながら現在も元炭鉱労働者や、その家族が住む公営住宅が立ち並んでおり、住み続ける人は多い。
炭鉱街としては非常に新しいほうに属しており、旧炭坑住宅も近代的なつくりであるが、現在はその街並み自体が貴重な存在になりつつあり、最近では清陵町の街並み見学をバスツアーに組み込む旅行会社もある。旧炭鉱住宅には風呂が無いため、現在も町内の市営共同浴場は賑わいを見せている。 |
Get in
10 minutes on foot from Minami Shimizusawa Station
南清水沢駅から徒歩10分 |
Former Hokutan Yubari New Coal Mine West Gate
北炭夕張新炭鉱通洞西口
1975 - 1982, 93 people lost their lives this coal mine in 1981 |
清水沢清陵町の北側の山のふもとには鉄錆色の格子でふさがれたトンネルがある。かつての北炭夕張新炭鉱通洞西口である。北炭は1975年(昭和50年)に夕張新炭鉱を開鉱したが、わずか6年後の1981(昭和56年)年10月16日に立て坑の地下(海面下810メー
トル)でガス突出事故が発生。救護隊が救助に向かったが、爆発が発生して2次災害となり、坑内に59人を残したまま注水。最終的に93人が死亡、39人が重軽傷を負う大惨事となった。この事故後、北炭は会社更生法の適用を申請して事実上倒産。事故の翌年、炭鉱は閉山となった。
現在、通洞西口近くの斜面には慰霊碑が建立されているほか、通洞入口には現在も夕張新炭鉱のスローガンが書かれた看板が当時のまま残っている。訪れた際には手を合わせたい。 |
Shimizusawa Dam since 1940
清水沢ダム |
1940年に北炭が炭鉱の自家発電施設として建設。旧清水沢発電所を見渡す高台に位置しており、現在は北海道営の発電所兼農業用貯水池としての役割を担っている。 |
Shimizusawa Seikocho near Shimizusawa Dam
清水沢清湖町 |
清水沢ダムの先に位置する夕張川南岸には炭鉱時代の最盛期、「清水沢清湖町」と呼ばれる市街地があった。現在は数人が住むのみで、自然に還りつつある住宅街跡地を一本道が貫いている。 |
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Address
Shimizusawa Seiryocho & Seikocho, Yubari City, Hokkaido, Japan
北海道夕張市清水沢清陵町および清湖町 |
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Shimizusawa Memorial Trail
Minami Shimizusawa Station - (0.6km / 10 minutes) - Shimizusawa Seiryocho Coop - (0.3km / 4 minutes)
- Former Hokutan Yubari New Coal Mine West Gate - (3.3km / 45 minutes)
- Former Houtan Shimizusawa Power Plant, view from Shimizusawa Dam - (1.7km
/ 20 minutes) - Shimizusawa Station
清水沢の炭鉱遺産をめぐる散策コース
南清水沢駅・・(0.6km / 10分)・・清水沢清陵町コープさっぽろ・・(0.3km / 4分)・・北炭夕張新炭鉱通洞西口・・(3.3km / 45分)・・清水沢ダム・・(1.7km
/ 20分)・・清水沢駅 |
Former Hokutan Shimizusawa Power Plant
旧北炭清水沢発電所
1926 - 1991, view from Shimizusawa Dam |
1926年(大正15年)に建てられた北炭の自家発電施設。北炭真谷地炭鉱が閉山する1991年まで使用されていたもので、現在は4分の1程度の大きさとなったコンクリート造りの発電所を清水沢ダムから眺めることができる。 |
Get in / To Shimizusawa Dam (observatory)
20 minutes on foot from Shimizusawa Station
清水沢駅から清水沢ダムの展望地点まで徒歩20分 |
Website
Shimizusawa Project
清水沢プロジェクト |
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